1862年2月17日(文久2年1月19日)、石見国
津和野(現
島根県)で生まれた。代々
津和野藩主、亀井公の
御典医をつとめる森家では、祖父と父を婿養子
[祖母も養子であり、祖父母の代で森家の血筋が絶えていた。このため鴎外は、親戚の西周(にし・あまね)と血がつながっていない。]として迎えているため、久々の跡継ぎ誕生であった。また前年、祖父の白仙が
東海道の
土山宿で病死したため、とくに祖母は鴎外を白仙の生まれ変わりといって喜び、後年、鴎外が留学と出征から無事帰国するたびに、はらはらと涙を落としたという。藩医の嫡男として、幼い頃から
論語や
孟子やオランダ語などを学び、藩校の養老館では
四書五経を復読。当時の記録から、9歳で15歳相当の学力と推測されており
[『講座 森鴎外』第1巻、15頁。なお同書は、学生、作家、軍医、家庭人の側面から、鴎外の実像にせまった。]、激動の
明治維新に家族と周囲から将来を期待されることになった。