ド・ゴールの曽祖父は、
ルイ16世の法律顧問をしており、
フランス革命時に投獄されている。父アンリは医学・理学・文学の3つの博士号をもつ碩学、熱心な
カトリック教徒であったという。また、祖父ジュリアンも著名な歴史学者であったといい、ド・ゴールは幼い頃より
歴史に興味をおぼえ、「フランスの名誉と伝統」に誇りを抱くようになったという。そして、ド・ゴールは、伝道師を目指していたものの、長身痩躯という立派な体格であった事から軍人の道を選んだ。
先に述べた祖父・父親のもとで愛国的かつ厳格な教育を受け地元の中学校を卒業後、
1909年に
サン・シール陸軍士官学校に入学した。ド・ゴールは、陸軍士官学校内では、「雄鶏」(フランスの
シンボルの1つでもある)、「アスパラガス」そして「コネターブル(「大将軍」の意)」と呼ばれていたという。無論、全て体格に由来している。実際、ドゴールの身長は約2mあったという。
なお、戦死と聞かされたペタンは、「ド・ゴール大尉。
中隊長をつとめ、その
知性と
徳性において知られた人物である。おそるべき砲撃によって大隊に夥しい損害を出し、中隊また八方から敵の攻撃をうけた状況下に、それが軍の光栄にかなう唯一の策と判断して兵をまとめ、突撃を敢行、白兵戦を展開した。混戦のうちに戦死。功績抜群……ペタン」という個人的な感謝状を作成したという。