モニスは医学を故郷に近い
コインブラ大学で学び、神経学をフランスのボルドーとパリで学んだ。1902年コインブラ大学に神経学科の主任教授として戻る。リスボン大学教授となり、20年以上勤めた。その間、政治の世界に入る。政治家としてはポルトガルの国会議員を1903年から1917年の間勤め、1917年外務大臣となる。1918年から1919年まで第一次世界大戦後に開かれた
パリ講和会議の首席代表となった。スペイン大使を1917年から1919年まで(第一次共和制)務める。
1936年にモニスと同僚のアルメイダ・リマ (Almeida Lima) は当時既に知覚を脳に伝える部分として知られていた視床と、当時既に知性と感情をつかさどる部分とされていた皮質に繋がる神経繊維を外科手術で切断することに世界で初めて成功する。この手術はそれから10年程で世界で広く行なわれるようになった。モニスの方法をアメリカのW.フリーマンとJ.W.ワッツが改良し、前部前頭葉白質切截法(ロボトミー)として確立した。それによりモニスは世界で広く知られ、名声はノーベル賞受賞という形で最高潮に達する。ロボトミーは主に
統合失調症の治療に用いられたが、症状の改善より、人間の本能的なものを奪うことが問題視されてその後行なわれなくなる。現在では悪評の高い手術となっていおり、薬物療法が一般的となっている。