1979年(昭和54年)から
1994年(平成7年)まで4期16年間市長であった
町井正登(舞鶴市名誉市民、平成18年没)の5選不出馬表明後の市長選挙で当選する。京都府北部は伝統的に強力な
保守の地盤であった為に、町井も江守も選挙では
革新系候補との一騎打ちで圧倒的な勝利を収める形を取って来た。逆に言えば、有力な対立候補も無く、市議会も共産党を除いてオール与党体制であり、市民の選択肢は非常に狭かった。特に舞鶴市は
造船や
硝子といった重厚長大産業の大工場が立地し、大規模な労組が存在したため、他の北部地域と比べ
リベラル色が強い地域であったとはいえ、
日本海側の一大自衛隊基地・
舞鶴地方総監部があり、歴史的に
鎮守府もあった
軍港である側面から、商店街などを始め自衛隊擁護派が多数を占め、自衛隊を批判する
社民党や
共産党の支持者はごく少数であった。また、強烈な革新府政を行い7期28年間府政に君臨した(評価は二分されるが)元知事・
蜷川虎三時代に辛酸を舐めた経験が骨の髄まで染みとおっていた。