岐阜県立岐阜高等学校卒後、
1967年東京大学医学部を卒業。以後、
東京都八王子市の八王子中央診療所に勤務、その後同診療所理事長。妻の梅村浄(きよら)も小児科医で、東京都
西東京市で梅村こども診療所を営み、同診療所でも医師として勤務。2人間に
障害児の子ども(梅村涼)があり、この子の父親であり、小児科医でもある1人の人間として、世間の能力主義や
優生思想に対して積極的に反対の意見表明を続けている。「障害児を普通学校へ・全国連絡会」の世話人など公的な場での発言も多い。
毛利子来と共に、雑誌「小さい・おおきい・よわい・つよい」(ジャパンマシニスト社)の編集者の1人を勤めている。