江戸幕府成立時、
徳川家直参の
足軽を全て同心としたため、
忍者を祖先とする伊賀同心、甲賀同心、鉄砲組の
百人組、
郷士の
八王子千人同心等、様々な同心職ができた。このように江戸時代初期から同心となった者は、特に「
譜代」と呼ばれ、無役となっても俸禄を受けることができ、子孫にこれを受け継がせることができた。幕府の同心は、幕臣であっても
旗本ではなく
御家人身分であるが、同心筆頭クラスは80石(俵)五人扶持程度の俸禄を受けたので、実質的には100石近い。これは1万石の大名の重臣に匹敵するものである。
町奉行配下の与力と同心の多くは、
八丁堀に屋敷を拝領し(いわば現代の警察官舎)、しばしば同心の代名詞とされた。ちなみにこの屋敷は、与力が約300坪、同心が約100坪程度の規模であった。いわゆる汚れ仕事として嫌われたために、実質的には世襲ではあったものの、形式的には代替わりの際には新規召抱えの体裁を踏んだ。牢屋廻り同心など最下級クラスでは二人扶持程度の俸禄でしかなかったものの、実際は諸大名家や
町屋からの付け届けなどでかなりの実収入があり、そのため岡っ引や目明しのような私的使用人を雇う余裕もあった。