吉田牧場の関係者によると、幼少期のテンポイントは精神・知能の面では人に逆らわない利口さをもち、常にワカクモに付いて回る甘え性でもあった
[、46頁。][、24頁。]。身体面では追い運動(馬に騎乗した人が仔馬を追いたてることでさせる運動)をさせた時の走りが非常に速かった反面ひ弱さを抱え、2歳時に前脚の膝の骨を痛めるなどあまり丈夫ではなかった
[、47頁。][、42頁。]。幼少期のテンポイントには栄養補給のためミルクが与えられた。テンポイントはこれを好んで飲み、後に
1978年の闘病中には吉田牧場の勧めで毎日牛乳が与えられた
[、140頁。][、23-24、96頁。][、196頁。]。
テンポイントは
1975年3月に小川厩舎に入厩した。
8月17日、
函館競馬場の新馬戦でデビュー。3日前に行われた調教で優れた動き
[その日の一番時計(最も速い走破タイム)を記録し、しかも調教相手の馬(同じ年のすでに新馬戦を優勝した馬で、厩務員の山田は調教をする前に相手の厩務員から「ついてこれるはずがない」と言われていた)を10馬身引き離した。(、11-12頁。)]を見せたことが評価され、50%近い
単勝支持率
[全単勝馬券の発売額に占めるその馬の単勝馬券の発売額の割合。]を集め1番
人気に支持された。レースでは好スタートから序盤で先頭に立つとそのまま
逃げ2着馬に10馬身の
着差をつけてゴールし、優勝した。走破タイムは札幌競馬場芝1000mの
コースレコードを0.5秒更新するものであった。この時のレース内容からテンポイントは「
クラシック候補」という評価を受けるようになった
[、58頁。]。
新馬戦の後、調教師の小川は年内の出走予定を2回と決めた。2戦目には当初10月の
条件戦りんどう特別が予定されたが発熱したため11月の条件戦もみじ賞に変更となった
。もみじ賞でテンポイントは2着馬に9馬身の着差をつけて優勝した。